[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
#1 [匿名@どうなの!?]
二人が入院してて、一人が窓側のベッドで、そこからの景色が最高だとよく話す
んだけど、結局は何もない塀だけだった話
知ってる人貼ってー
8/17 00:50 DM004SH
#9 [匿名@どうなの!?]
ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。
一人は窓側のベッド、もう一人はドア側のベッド。
2人とも寝たきりの状態だったが、窓際のベッドの男はドア側のベッドの男に窓
の外の様子を話してあげていた。
「今日は雲一つない青空だ。」
「桜の花がさいたよ。」
「ツバメが巣を作ったんだ。」
そんな会話のおかげで死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。
ある晩、窓際のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないよ
うだ。
ドア側の男はナースコールに手を伸ばした。が、ボタンを押す手をとめた。
「もしあいつが死んだら、自分が窓からの景色を直接見れる・・・」
どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時をすごしたいと思ったドア側のベ
ッドの男は、自分は眠っていたということにして、窓側のベッドの男を見殺しに
した。
窓側のベッドの男はそのまま死亡した。
晴れて窓側のベッドに移動したドア側のベッドの男が窓の外に見たのは、打ちっ
放しのコンクリートの壁だった。
8/17 00:55 F02B
#18 [俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。]
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。親父の留守中、家に金が無いか
タンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。俺、親父のエロビデオと
かかな?なんて思って見てみた。病室のベットの上にお母さんがうつってた。『
〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。 お
母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。 今頃、大学生
になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』10分くらいのビデ
オテープだった。俺、泣いた、本気で泣いた。それから親父の髭剃りでパンチパ
ーマ全部剃った。みんなにバカにされるくらい勉強した。俺が一浪でマーチに合
格した時、親父まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話
してた。二十歳の誕生日に案の定、親父が俺にテープを渡してきた。またよく見
てみたらビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。お母さんは、笑いながら
『情けないわねぇ』なんて言ってる。俺また泣いちゃったよ。父親も辛かったん
だろうな、親父にその
こと言ったら、知らねーよなんて言ってたな。俺このビデオテープがあったから
まっとうに生きられてる
8/17 01:09 re
#19 [匿名@どうなの!?]
18
あわわわわわわわわ
8/17 01:13 931P
#20 [匿名@どうなの!?]
18
急にやめろよ泣いちまった
8/17 01:14 SH07B
#21 [匿名@どうなの!?]
18
『〇〇死ね』のくだりかと思ってしまった
8/17 01:15 DM004SH
#22 [匿名@どうなの!?]
俺もがんばるよ母さん
8/17 01:16 P08A3
#24 [匿名@どうなの!?]
18
不意つかれたわ
8/17 01:17 W53H
#25 [匿名@どうなの!?]
18
親父…
8/17 01:17 P02A
#28 [匿名@どうなの!?]
18
画面が見ずらくなっただろが
8/17 01:21 F06B
#29 [匿名@どうなの!?]
弁当作るのへたくそな母ちゃんのやつは泣いた
8/17 01:22 D905i
#30 [匿名@どうなの!?]
弁当コピペ誰かあ
8/17 01:22 F06B
#31 [匿名@どうなの!?]
お弁当のやつは貼らないで
悲しくなる
8/17 01:22 DM004SH
#33 [匿名@どうなの!?]
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだっ
た。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨ててい
た。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言って
きた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし
彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたの
で
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつ
く言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなっ
た。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
8/17 01:23 F02B
#35 [匿名@どうなの!?]
33
うわあぁあぁぁぁあああああ
8/17 01:23 DM004SH
#37 [匿名@どうなの!?]
やっぱりお弁当は何回見ても泣いてしまう
8/17 01:25 F03A
#39 [匿名@どうなの!?]
33
あ、貼ってくれてありがとう!
8/17 01:26 F06B
#44 [匿名@どうなの!?]
33
確かに泣ける
8/17 01:29 931P
#45 [匿名@どうなの!?]
33
一瞬で泣いた
8/17 01:29 F01A
#47 [匿名@どうなの!?]
33
不良に夜一人のとき読ませたら泣いてそう
8/17 01:30 W53H
#46 [匿名@どうなの!?]
大きな病院に通院していました。
ある日、男子トイレの洋式の方に入り座ると、ドア裏に小さな落書きがあったの
です。
『入院して二ヶ月 直らない もうだめだ』
そして二週間後
(その落書きの事はすっかり忘れていたのですが)、またそのトイレに入りまし
た。
…ドア裏は落書きでいっぱいいっぱいになっていました。
『頑張れ』
『ガンガレ』
『必ず良くなるぜい!』等々。
しかもその後、トイレはペンキ塗り直しされて、他のドアは新しい色になったの
ですが、なぜか、そのドアだけは塗り直されずに落書きがそのままでした。
それを見て温かい気持ちになりました。
8/17 01:30 re
#49 [匿名@どうなの!?]
あるところにランニングが好きなAとBという二人の少年がいました。
二人がたまたま海辺を走っていると『助けて…』と声が聞こえた、
ふと海を見てみると、女の人が手をバタつかせながら溺れていたそうだ。Aは、
助けなきゃ!と思い海の中に入ろうとした。しかしBがいきなりAの腕を掴んで
いつも以上に早く走りだした。AはBの手を振り払い、『人が溺れているんだぞ
!』と言った。するとBはこう言った。
『お前…!あの溺れている女の顔よく見たか!?笑ってたぞ!』
8/17 01:32 813T
#50 [匿名@どうなの!?]
49
怖い怖い怖い
8/17 01:33 DM004SH
#51 [匿名@どうなの!?]
49
ぎゃあああああああ
8/17 01:33 825SH
#52 [匿名@どうなの!?]
49
やめれw
寝れんわw
8/17 01:34 W51SA
#53 [匿名@どうなの!?]
49
脳内再生されたけど
33で かき消した
8/17 01:35 W53H
#55 [匿名@どうなの!?]
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった寂し
さもあいまって、俺は飯のたびに癇癪をおこして大泣きしたり、喚いたり、ひど
い時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたりなんて事もあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずにちょっとずつわけてもらったおかずと、持っ
ていたお菓子のみで腹を満たした。
弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って、空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、涙
目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがと
なあ!」と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当の事なんて勿論言えなかった。
でも、その後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていた事を
親父に言ったわけ。
8/17 01:36 F02B
#56 [匿名@どうなの!?]
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して、怒鳴った
りはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあってその夜、早々と布団にもぐりこ
んだ。
でも、なかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父の所に戻ろうとした。
流しの所の電気がついていたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、親
父が読みすぎたせいか、ボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当
箱を見ながら泣いていた。
8/17 01:36 F02B
#58 [匿名@どうなの!?]
で、俺はその時ようやく自分がとんでもない事をしたんだって事を自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出
せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当の事や今までの事を謝った俺の頭を親父は、またぐりぐりと撫でてく
れて、俺はそれ以来親父の作った飯を残す事は無くなった。
親父は去年死んだ。
病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで、頭が混乱しつつ涙と鼻水流
しながら、「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草
のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せ
ない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。
ありがとうって言う言葉はなかなか言えるもんじゃないんですが、絶対に言って
おいたほうがいいと心から思う。
8/17 01:37 F02B
#59 [匿名@どうなの!?]
58
泣いた
8/17 01:38 W51SA
#60 [匿名@どうなの!?]
58
このコピペもっと早くに見たかったわ
8/17 01:40 N02B
#61 [匿名@どうなの!?]
58
画面が見えずらいじゃんか
8/17 01:40 F06B
#64 [匿名@どうなの!?]
58読んだが
33の余韻がぱねえ
明日母さんに謝まるわ
8/17 01:42 W53H
#67 [匿名@どうなの!?]
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てて
いた。それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子
二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原と
かに遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラ
を買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初
めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれ
た。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
8/17 01:44 F02B
#69 [匿名@どうなの!?]
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ず
つ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持
っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の
母に「楽しかったよ」と言ったら、母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って
涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強
した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に
孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出した
ように「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、
最後まで声にならなかった。
うちも親父死んでから結構な貧乏生活だったのでぐっときてしまった。
